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広島高等裁判所松江支部 昭和26年(う)54号 判決

控訴人 被告人 森中豊治

原審検察官 中野和夫

検察官 香川幸関与

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

弁護人及び検察官の本件控訴趣意及び検察官の控訴趣意に対する弁護人の答弁は別紙控訴趣意書並に答弁書記載の通りであるからその控訴趣意主張の各点に対し当裁判所は次の通り判断する。

第一、三弁護人の各控訴趣意第一点事実誤認の主張について。

然しながら原判決挙示の証拠を綜合すれば原判決摘示事実を全部認定するに充分である。各弁護人は独自の見解に立つて原審の適法に認定した事実を徒らに論難するものであつて論旨は到底採用できない。

第二、三弁護人の各控訴趣意第二点訴訟手続法令違反の主張について。

所論にかんがみ所論各調書の証拠能力の有無を検討する。

(一)福永弁護人の主張に対し、

(1)原審証人吉村哲三及び同八村信三が原審公廷で証言を拒んだ場合同人等の刑事訴訟法第二百二十七条による証人尋問調書は同法第三百二十一条第一項第一号による書証として証拠能力を持つか否かの問題については右第一号に所謂「その供述者が死亡精神若しくは身体の故障所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」とはその供述者を証人として公判準備又は公判期日に喚問することが不可能であるか又は喚問し得るとするもその供述を得ることが出来ない場合を指称するものであつて必ずしも厳格に右列挙の場合に制限解釈しなければならぬことはない。供述者が公判期日において同法第百四十六条に基き証言を拒否しその供述を得ることが不可能の場合も右列挙の場合に準じ証拠能力を有するものと解するを相当とする。されば所論吉村哲三及び八村信三の各供述調書を以て右場合に該当し証拠能力ありとした原審の解釈は相当である。

(2)裁判官の証人吉村哲三及び同八村信三に対する各証人尋問調書の任意性の有無については所論は要するに単なる根拠のない憶測に過ぎず右各調書の冒頭にはそれぞれ「裁判官は別紙宣誓書により宣誓させた上偽証の罰を告げ証人に対し自己又は刑事訴訟法第百四十七条に規定する者が刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞のある証言を拒むことができる旨告げ次のように尋問した」との記載があつて右趣旨の告知があつたことは疑なくその他右各調書の形式内容等を検討するもその任意性を疑わしめる点は一も存しない。裁判官の尋問に対し証言をしておつてもその後心境又は状況の変化によつて公判廷での証言を拒むことは容易に想像し得るところである。されば原審が右各調書を任意性ありとしてその証拠能力を認めたことは相当である。

(3)検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書及び同作成の八村信三の第五回供述調書は原審証人吉村哲三及び同八村信三が原審公廷で証言を拒んだ場合刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号による書証としての証拠能力を持つか否かの問題については同号に所謂「その供述者が死亡精神若しくは身体の故障所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」とはその供述者が公判期日において供述を拒んだ場合にも準用あるものと解するを相当とすること前示(1) に述べた通りである。されば検察官作成の右吉村哲三及び八村信三の各供述調書を証拠能力ありとした原審の解釈は相当である。

(4)検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、同作成の八村信三の第五回供述調書及び同作成の西川徳弥の第八、九回供述調書については刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号但書に所謂「公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限る」ことは検察官においてこれを明かにすべきであるに拘わらず本件においては何等これについて明かにされていないとの点については右但書は同号後段を受けた規定であることは疑の余地なく吉村哲三及び八村信三は公判期日において供述を拒んだのであるから検察官作成の各同人等の供述調書については弁護人所論の問題の起る余地は存しない。検察官作成の西川徳弥に対する第八、九回供述調書については検察官は証人西川徳弥の公判期日における供述よりも右同人の供述調書の方が信用すべき特別の情況存することについて特に法廷で言及説示はしていないけれどもそれは弁護人側の申請によつてではあつたが同証人を法廷で取り調べた結果同人が鳥取市における政治団体である市民同盟の幹事長をしており被告人はその顧問であつて両者切つても切れない深い関係があることが明かになつたのでその必要を認めなかつたからである。そして両者間右に述べたような関係がある以上西川徳弥が被告人を前にして為した法廷における供述と被告人のおらない検察官の面前において為した供述と比較して後者を信用すべき特別の情況存するものとすることは充分首肯し得るところである。されば右各調書に証拠能力ありとした原審の措置は相当である。

(5)検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、同作成の八村信三の第五回供述調書及び同作成の西川徳弥の第八、九回供述調書について裁判所がこれを証拠にとるに際し刑事訴訟法第三百二十五条に所謂予備的審査をしておらないとの主張についてはこれを本件記録によつて検討すれば裁判官は検察官に対し釈明を求め証拠書類を取り調べ証人を尋問し(第三回乃至六回公判調書)充分調査を遂げた上でこれら書類を証拠として採用しておることが明かである。論旨は独断に過ぎず採用に値しない。

(6)検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、同作成の八村信三の第五回供述調書及び同作成の西川徳弥の第八、九回供述調書について刑事訴訟法第三百十九条に所謂任意にされたものでない疑のある自白であつてこれ等の調書は証拠能力がないとの主張についてはこれ等調書の形式内容その任意性の有無について原審が取り調べた一切の結果等を本件訴訟記録によつて精査検討してみても右調書が任意にされたものでないとの疑は毫も存しないから原審がこれを以て証拠能力ありとしたことはまことに相当である。

(二)山崎弁護人の主張に対し、

(1)検察官作成の西川徳弥の第八、九回供述調書について刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号但書に所謂「公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況」が存しないからこれ等調書は証拠能力がないとの主張については右調書が証拠能力を有することに関し福永弁護人の控訴趣意前示(4) 後段において説示したところと同一であるからここにこれを引用する。

(2)検察官作成の西川徳弥の第八、九回供述調書、同作成の吉村哲三の第三回供述調書及び同作成の八村信三の第五回供述調書の任意性がないとの主張については右調書が任意性があり従て証拠能力を有することに関し福永弁護人の控訴趣意前示(6) において説示したところと同一であるからここにこれを引用する。

(3)裁判官の証人吉村哲三及び同八村信三に対する各証人尋問調書の任意性がないとの主張については右調書が任意性があり従て証拠能力を有することに関し福永弁護人の控訴趣意前示(2) において説示したところと同一であるからここにこれを引用する。

(4)裁判官の証人吉村哲三及び同八村信三に対する各証人尋問調書について右証人吉村哲三及び八村信三は検察官が刑事訴訟法第二百二十七条に基いて裁判官に対し尋問を求めた者であり右第二百二十七条は同法第二百二十三条を前提とした規定であり右第二百二十三条は検察官は被疑者以外の者の出頭を求めこれを取り調べることができる旨の規定である。然るに右吉村哲三及び八村信三は被疑者以外の者ではなく本件被告人と必要的共犯者として被疑者として勾留中の者であるから右第二百二十七条によつては尋問請求できないのに拘わらずそれができるものとして尋問を請求し裁判官又これを許容して尋問をした右調書は法律の解釈を誤つて証人尋問を行つたもので違法であるとの主張については刑事訴訟法第二百二十三条に所謂被疑者とは当該被疑者を指称しこれと必要的共犯関係ある他の者(本件については被疑者は収賄者被告人森中豊治、これと必要的共犯関係ある他の者は贈賄者吉村哲三及び八村信三)を含まないものと解するを相当とする。されば裁判官が検察官の請求により刑事訴訟法第二百二十七条に基いて証人吉村哲三及び八村信三を証人尋問したことは何等違法のかどはなく従つて右調書の証拠能力を否定することはできない。

(三)武井弁護人の主張に対し、

(1)所論(五)(1) については憲法第三十七条第二項は刑事手続における直接審理主義の原則を宣明したものではあるけれども証人の証言で被告人の反対尋問を経ないものを被告人の不利益な事実認定の証拠とすることは絶対許されないとの原則は右憲法の条項からはでて来ない。本件においては証人吉村哲三及び同八村信三を証人として法廷に喚問し弁護人等の尋問にさらしたのであるが同人等において自己が刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞あるものとしてその証言を拒否したのである。かような場合には刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一号に所謂「供述者が死亡精神若しくは身体の故障所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき」に準じて考うべきことは福永弁護人の主張に対し前示(1) において説示した通りである。しかも検察官の請求により右各証人を尋問した裁判官がその尋問に際し被告人又は弁護人を立ち合わせなかつたのは刑事訴訟法第二百二十八条により捜査に支障を生ずる虞があると認めたがためである。公判期日又は裁判官の証人尋問に際して被告人又は弁護人において反対尋問権を行使できなかつたからと言つて裁判官の証人吉村哲三及び八村信三の尋問調書に何等違法のかどは存しない。さればこれを証拠能力ありとした原審の措置は相当である。

(2)その余の点については従前福永及び山崎各弁護人の主張に対し各関係部分について判断したところと同一であるからここにこれを引用する。

第三、三弁護人の各控訴趣意第三点量刑不当の主張及び検察官の控訴趣意について。

本件訴訟記録及び原裁判所の取り調べた証拠によつて弁護人及び検察官双方所論の点を検討し本件犯行の罪質態様その他一切の事情を彼此考量するも原審の刑はまことに相当であつて量刑不当の点は存しない。

以上の次第であつて弁護人及び検察官双方の各控訴趣意は何れも理由がないから刑事訴訟法第三百九十六条を適用し本件各控訴を棄却することとし主文の通り判決する。

(裁判長判事 平井林 判事 久利馨 判事 藤間忠顕)

検察官検事中野和夫の控訴趣意

(一)被告人は贈賄者側の市会議員に対する商品券贈賄の事実を贈賄直後の昭和二十五年九月二十二、三日頃鳥取銀行に赴き吉村頭取等に対し直接難詰し乍らその直後本件賄賂を要求していること(吉村哲三、八村信三の検察官調書、検察官の被告人尋問等参照)。

(二)被告人は贈賄者側の請託に対し、ことさらに言を左右にして市会議員の全員一致にて鳥銀指定の議決がなされる見透しが充分でないと原案を提出しないとの口吻を洩し贈賄者側の所謂「気を引き」たる形跡認められ計画的に賄賂の引出しを策していたと断じ得ること(吉村哲三、八村信三の検察官調書参照)。

(三)本件公訴事実以外に更に十万円の賄賂を収受し居る事を推測し得る状況あり。この事は(ニ)の判定を決定的ならしめていること(贈賄者特に吉村哲三及び参考人米原章三の供述)。

(四)執行猶予に付すべき事情は判決書には現れていないが言渡の際の説示によると、(イ)被告人が長期に亘り公職に在り(約三十年)たること(ロ)被告人は本件の為最後の公職たる市長の地位を失つたこと(ハ)市民として最高の責任者たる被告人が四十数日間未決にありて心身共に罪責に対する責任を痛感しある筈なること等の理由により検察官請求の如き「実刑」は酷に失する感ありて採らない、との事であつたが斯る被告人であつても本件の重要性に鑑みれば、実刑を科し早期出所は専ら行刑の適切に俟つべきものと信ずること。

(五)被告人は如何に黙秘権ありとは言へ本件に関する検察官取調に対し終始全面的に否認したが隠匿の十万円を発見されたことを知るや第一回公判に於て卒然と金銭授受の点のみを認め何等合理的根拠なくしてその趣旨を否認しつずけたものであつて何等本件に対する反省的態度なきこと(被告人の検察官調書、被告人の冒頭否認陳述等参照)。

検察官の控訴趣意に対する福永、山崎、武井弁護人の答弁

検察官は本件の重要性に鑑みれば、実刑を科すべきものとして次の五点を開陳している。即ち

(一)「被告人は贈賄者側の市会議員に対する商品券贈賄の事実を贈賄直後の昭和二十五年九月二十二、三日頃鳥取銀行に赴き吉村頭取等に対し直接難詰し乍らその直後本件贈賄を要求していること」を主張し右吉村哲三、八村信三の検察官調書参照としているけれども、原審において検察官の提出した吉村哲三、八村信三に対する調書は吉村哲三に対する第三回(昭和二十五年十月二十日供述)供述調書と八村信三に対する第三回(昭和二十五年十月四日供述)供述調書、同人に対する第五回(昭和二十五年十月十六日供述)供述調書であつて、この供述調書には検察官の主張のような供述記載はない。又検察官は被告人尋問参照としているけれども、この尋問にも右検察官の主張するような被告人の供述はないのみならず右検察官の調書を証拠とすることができないことは弁護人福永亮三提出の控訴趣意書第二項において詳述したところである。仍つて検察官主張の第一点はその理由がない。

(二)「被告人は贈賄者の請託に対し、ことさらに言を左右にして、市会議員の全員一致にて鳥銀指定の議決がなされる見透しが充分でないと原案を提出しないとの口吻を洩し贈賄者側の所謂「気を引き」たる形跡認められ計画的に賄賂の引出しを策していたと断じ得ること」を主張し、右吉村哲三、八村信三の検察官調書参照としているけれども、右検察官調書によるも斯かる事実は認められないで、これは全く検察官の揣摩臆測でしかない。況んや右検察官調書が証拠とすべきものでないことは第一項で述べるとおりであるから検察官主張の第二点も失当である。

(三)「本件公訴事実以外に更に十万円の賄賂を収受し居る事を推測し得る状況あり、この事は(ニ)の判定を決定的ならしめていることを主張し贈賄者側特に吉村哲三及び参考人米原章三の供述を援用しているけれども、右吉村哲三及び米原章三の供述に徴するも、本件公訴事実以外に更に被告人が十万円の賄賂を収受して居る事実は認められない。若し検察官の主張のように、右事実が認められるならば、検察官は進んで本件公訴事実以外に更に十万円の賄賂を収受し居る事実について、須らく公訴を提起すべきであるに拘わらず、その事なくして、更に十万円の賄賂を収受し居る事を推測し得る状況にある事が公訴事実の判定を決定的ならしめていると謂うに至つては単に推測を逞うして或る事実を描きこれを以つて他の事実を論断するもので牽強附会も甚しい。故に検察官主張の第三点も全く採るに足らない。

(四)検察官の陳述の如く原判決書には執行猶予にすべき事情は記載されていないがその言渡の際の説示によると検察官指摘のような理由であつたであろう、原審は三年間執行猶予の判決を言渡された。原審において有罪の判決の言渡があつたことが既に適正でないことは弁護人提出の控訴趣意書に詳述したとおりであつて、仮に有罪であるとするも執行猶予は当然であり右控訴趣意書に記載のとおり、刑の量定も重きに過ぎ且執行猶予の期間も長きに失する。然かも贈賄者側に対する第一審における言渡の刑に比し、本件被告人の刑は重く権衡を失し、裁判の適正を欠くものである。検察官は「本件の重要性に鑑みれば実刑を科すべきもの」と主張し、実刑を科すべき理由につき「本件の重要性に鑑みれば」と云い他に何等具体的にどうしても実刑を科さねばならぬ理由の陳述がない。これは如何なる犯罪でも重要性があれば必ず当然実刑を科すべきだとの趣意なのであるか。寧ろ諒解に苦しむところである。抑も刑法第二十五条には「情状により執行を猶予することを得」と規定されているから、いわゆる情状即ち被告人の性格は勿論その家庭状況及び職業的関係等凡そ執行猶予の目的を達する見込みがあるかどうか殊に再犯の虞があるかどうかを判断するに適当な一切の事情を斟酌すべきであつて犯行の重要性に鑑みてこの情状を斟酌すべきものでないとの論を未だ嘗て聞かず、殊に検察官の「実刑を科し早期出所は專ら行刑の適切に俟つべきものと信ずる」との主張は裁判と行刑とを混同する論説のように思われる。今は裁判の問題であつて、行刑は別の機関がこれに当るので、全然別個の而かも裁判が終つて後の問題である。従つて裁判はどこまでも適正な裁判であるべきで、その後に起るべき行刑を見越して裁判がなさるべきではないことは言うまでもない。仍つて検察官主張の第四点も失当である。

(五)「被告人は如何に黙秘権ありとは言え本件に関する検察官取調に対し、終始全面的に否認したが隠匿の十万円を発見されたことを知るや第一回公判に於て卒然と金銭授受の点のみを認め何等合理的根拠なくして、その趣旨を否認しつずけたものであつて、何等本件に対する反省的態度なきこと」を主張し、被告人の検察官調書、被告人の冒頭認否陳述等参照としているがこれは新(日本国)憲法が発布されて五年に垂んとする今日余りにも旧態依然とした思想に捕われた主張で、驚くの外はない。言うまでもなく新(日本国)憲法はその第三十八条の規定において何人も自己に不利益な供述を強制されない。強制拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白はこれを証拠とすることができない。何人も自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられないことが保障され、新刑事訴訟法第三百十九条にも同趣旨のことが重複して規定され然かも刑事訴訟法はその第百九十八条において被疑者の検察官に対する供述拒否権を認め第三百十一条においては被告人の裁判所に対する供述拒否権をも明定しているにも拘わらず検察官の言わんとするところは、検察官に対しては、何事も黙秘すべきでないと言うことを前提とし、苟くも検察官の取調に対し黙秘乃至事実を否認した場合は反省的態度がないものとして重く刑罰を科すべきものであるとするにある。これは全く一面には黙秘権を認めながら反面には、これを本質的に否定するような言分であつて、検察官万能主義に堕するものに外ならない。抑も新刑事訴訟法は検察官に公訴事実についての全部の立証責任を負わしめている。而かも立証は被告人の供述以外に求めるのが原則であるに拘わらず、旧刑事訴訟法手続に慣れている弊もある故か、先ず証拠を被告人の自白に求めんとする捜査の誤りを繰返しているのが現実であることを甚だ遺憾とせざるを得ない。斯くては、いかに新憲法布かれて幾とせ経るとも黙秘権はおろか憲法に認める被告人の権利は保障さるべくもない。殊に被告人が検察官に対し十万円の授受を否認したのは黙秘権の行使であつて、何等これを咎むべきでないが、前記控訴趣意書に記載したとおり、被告人は政治団体である市民同盟に対する寄附として受けたものであるから十万円の授受の事実は供述しても苦しくないのであつたけれども検察官において収賄として偏見又は予断されその偏見又は予断を前提として取調べられるので収賄の嫌疑を受けることを恐れ、寧ろその授受を否認したものに過ぎないであろう。かかる偏見予断的取調の弊は、まさに疑心暗鬼を生ずる類であつて、正鵠を期し難くこれがため被告人の黙秘権を減殺し、被告人の罪責を加重するの理由とするに足らない。よつて検察官主張の第五点も甚しく失当であることは多く言うを要せずして明らかである。

福永弁護人の控訴趣意

一、原判決には事実の誤認があつて、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決の認定した事実は「被告人は昭和二十四年五月九日鳥取市長に就任し、爾来昭和二十六年一月六日に至るまで、その職にあつたものであるが、従来地方自治団体の長は、地方自治法施行令の規定により、当該自治団体の金庫事務の取扱をなす銀行を指定する職務権限を有し、鳥取市においては、市長の該権限にもとずき、従来株式会社山陰合同銀行がそれに指定されていたところ、昭和二十五年五月四日同令の改正により、地方自治団体の長は、改めて議会の議決を経て、同金庫事務の取扱をなす銀行その他の者を指定しなければならないこととなり、被告人も亦鳥取市長として、責務を負うに至つたのであるが、鳥取市においては、前記山陰合同銀行並びに株式会社鳥取銀行がその指定方を希望し、両者の競走となつたため、右鳥取銀行取締役岸根幸市は、特に同年八月頃同(頭取)吉村哲三名義の陳情書を、被告人に提出し、市金庫指定方の請託をし、希望実現方につとめたが、被告人は、容易に諾否を決せず、同年九月二十五日頃鳥取市西町蓬来館こと沢かめ方において、被告人の求めによつて、同所に来た同銀行取締役八村信三より暗に同趣旨の請託を受けるや、之を黙諾した上、「いろいろ金が要りましてなあ」と答えて、暗に右指定に関する報酬を要求し、即時同所において、同人より同人が被告人の該要求に応じて供与するものであることを知りながら現金十万円の供与を受け以て被告人の前記職務に関し、賄賂を収受したものである。」と謂うにある。然るに被告人の公判における供述を検討すれば、原審第一回公判(昭和二十五年十一月二十二日)調書中、裁判官の尋問に対し被告人の陳述として「起訴状には市金庫指定について、職務に関し請託を受けて、十万円収賄したとありますが、私はそのように、十万円を収受したことはありません。然し起訴状記載の日時頃、起訴状記載の場所で、鳥取銀行の八村常務が、曩に私に対するリコール運動がすんで、その反対運動の経費が要つただろうから、市民同盟に寄附したいといつて、私が市民同盟の顧問でもあるので、私に十万円出されたので、その金を同人から預つたことはありますと述べた。」旨の記載があり、原審第三回公判(同年十二月十六日)調書中、被告人に対する検察官森井英治の尋問において「問 被告人は前の公判で八村から十万円受取つた事実があると述べたが、それはどんな経路であずかつたのか。答 本年の九月二十五日頃と思いますが、八村さんに会いたいと電話しました。其のお会いしたいという目的は、鳥取市滝山にある安禪寺の住職が、茶の方で昇格され、其の祝賀の意味の茶会があり又住職が危篤状態であるので、見舞方法を相談したいと思いました。八村さんは、茶道の方の関係の人であり、茶会にも相当の資格で出て居られるし、其の方に努力して居られるので、相談したいと考えた訳です。其の日八村と会い其の話をしましたが、其の際住職の見舞の話の関係から、金の問題が出たが、八村さんが考慮すると云われました。其のついでに、八村さんが、私に市長のリコール問題で金がかかつただろうと言われ、私がリコールについては、市民同盟も相当金を使つていたと話したが、八村さんが八村として、これを寄附すると言われたので、私はお預りして置くと言つて、十万円預りました。問 それは誰に寄附すると言つたのか。答 私はリコール問題で、市民同盟が相当の金を使つたと話したから、当然市民同盟に寄附されるものと考えました。問 向うから市民同盟に寄附するとはつきり言つたのか。答 私が市民同盟もリコール問題で金がいつていると言つたので、八村も之を市民同盟に寄附しようと言つた訳です。」旨の記載、次に原審第六回公判(昭和二十六年一月十五日)調書中、被告人に対する森井検事の尋問において「問 前回にも尋ねたけれども、今日重ねて尋ねるが、被告人が八村から十万円を受取つた時に、八村はどう云つて金を渡したか。答 八村さんからその金を預かつたのは、蓬莱館でありましたが、その際茶会の話が出、師匠に対する見舞の話が出ました。そしてその中に八村さんが私に、市長のリコールで市民同盟も金を使つたでしようと言われましたので、私も市民同盟も金を使つて居りますと言つたのです。すると八村さんは、市民同盟にこれだけ寄附すると言つて、十万円を出されました。問 八村は市民同盟に寄附すると、はつきり言つたのか。答 言われました、私の方から八村さんに対して寄附して下さいと言つたことはありません。」旨の記載次いで同調書中被告人に対する武井弁護人の尋問において「問 本件起訴状の中に、該希望が実現せられるよう尽力方の請託を受くるや之を黙諾したがとあり被告人は前回黙諾したことはないと述べたがそうか、答 黙諾したことはありません。問 その際被告人は、色々金が要りましてなあと暗にほのめかしたことがあるか。答 ありません。問 被告人は本件の金を賄賂だと思つて受取つたか。答 そんなことはありません。問 十万円を自分の金に使うつもりであつたか。答 そんなつもりはありませんでした。そう云う気持があれば他人に相談する必要はありませんでした。先方が市民同盟と云うことでありましたし私も市民同盟に寄附すると云われたのを聞きましたので相談をしたわけです。問 被告人は市民同盟に寄附して貰つた事にしなくてはいけないとか市民同盟に寄附して貰つたことにしようとか広田と相談したことがあるか。答 ありません。問 十万円を返そうということを西川と相談したことがあるか。答 私が西川氏に市民同盟に金を寄附するという話が出ているがと言いますと西川氏は誤解を受けてはいけないから返そうという意見でありました。」旨の記載がある。これらの供述記載によれば、被告人は原審の公判において、終始一貰して株式会社鳥取銀行取締役八村信三より公訴事実の如く請託を受けてこれを黙諾したこともなく又同人より交付を受けた金十万円は賄賂にあらずして、右八村信三は、市民同盟(被告人が顧問をしておるもの)に寄附すると言つて交付したので、被告人は、市民同盟に対する寄附として預つたものであると供述しているのである。

次に本件の証拠として原審に提出した被告人吉村哲三、八村信三等に対する贈賄昭和二十二年勅令第一号違反被告事件第一回公判(昭和二十五年十二月二十一日)調書中被告人吉村哲三の公訴事実についての供述として「このたびの市金庫問題については、私共鳥取銀行の役員は、銀行業務を発展させるためにしたことであつて、決して私利私慾のためにしたものでないことを予め御諒解願います。本年(昭和二十五年)四月から鳥取銀行が鳥取市の市金庫事務も取扱うということは、本年三月に決定していたのであります。それは他の市においても、地許銀行が取扱つておりますし、私共も鳥取銀行が取扱うことが最もよく又義務をあると考えて、当局に交渉しておりました。それで本年三月には、鳥取市長においても、山陰合同銀行の頭取に面会され、その際頭取は鳥取市金庫事務取扱から手を引くと言つておられたそうであります。そこで鳥取市長は、鳥取銀行の梅田常務取締役を呼んで、山陰合同銀行が市金庫の事務取扱を断つて来たから、鳥取銀行で引受けられてはどうかと言つておられたのであります。それで四月から市金庫事務取扱をする予定であつたところ、市当局の意見か、鳥取銀行は合併後幾ばくも経つていないのだから、その次の機会からにしようとの話になつて、引続き山陰合同銀行が取扱つていたのであります。而して当時は、市金庫の事務取扱の指定については市議会の議決を要しなかつたので、次の機会には、当然、鳥取銀行に委託されるものと思つていたところ、本年五月に地方自治法施行令が改正になりました。然し十月からは必ず市金庫に指定されるものと信じておりました。それでなお私共の信念を陳情書に認めて鳥取市長市議会に陳情致しました。又当時の世論も地許銀行である鳥取銀行が市金庫事務を引受けるということは、理の当然であるということになつていたのであります。このような事情でありまして、私共は別に贈賄の必要もなく、従つて贈賄等をしようと言う気持は、毛頭ありませんでした。公訴事実第二の(二)の事実について、鳥取市長に対する贈賄の件は、本年九月二十五日頃八村から森中市長が何かと金が要るような話をしている噂があると聞きましたが、私はそんな無理を言つても仕様がないではないかと一、二分間話したことはありますが、贈賄の相談をしたことはありません。以上申述べました様に、私は銀行業務の一つをなしたものであつて、何等贈賄をしたとは思つておりません。市と交渉したことも経済上のことであつて、何等政治上の違反ではないと思います。鳥取銀行は私達の運動によつて、市金庫事務取扱に指定されたものではないのに、起訴されたことを意外に思います。」旨、又同調書中、被告人八村信三の公訴事実についての供述として「第二の(二)の事実の森中に対して、沢かめ方で現金十万円を渡したのは、事実でありますがこれは、森中が金が要ると言つたから渡したのであつて、私の方から市金庫事務取扱指定方について、森中の職務に関して請託したものではありません。」「問 森中に対する分は、何のために贈つたのか。答 森中から私を名指して場所と時間を指定して面会を申込まれたので、会つたところ、森中は金が要ると申しました。その時私は有価証券を買うために、金を持つていたので、それでは使われたらよかろうと話して渡したのであります。この金は私のものでありましたが、後には銀行から出したことにしました。」旨の記載がある。以上により本件金十万円を授受した当事者の真意を探究するにこれを交付した側の株式会社鳥取銀行の頭取吉村哲三の供述によれば、銀行業務の発展のためにしたもので、贈賄したものでないと謂うにあつて、又同銀行常務取締役八村信三の供述によると贈賄を否定してはいるが進んで何のために金十万円を交付したのか詳かでない。然しこれを受取つた側の被告人の供述によれば右八村信三は市民同盟に対する寄附として金十万円を被告人に渡したのでこれを預つたと明確に言つておるのである。この点についてはなお右被告人の供述を裏書する証拠がある。即ち原審第二回公判(昭和二十五年十二月一日)調書中証人西川徳弥に対する山崎主任弁護人の尋問において「問 証人はそれ以前に市民同盟の為に金を預つていると森中から聞いたことはないか、答 九月二十七、八日頃私の宅の八畳の部屋で、森中が鳥銀から市民同盟に使つてくれといつて、自分のところに金をもつて来ていると言つた。問 証人は森中から市民同盟に使つて呉れといつて金を持つて来ていると聞いたのか。答 森中から市民同盟に使つて呉れと言つて金を持つて来ていると聞きました。問 森中から鳥取銀行からもつて来た金を預つたと言つたかもらつたと言つたか。答 そこは、はつきり記憶しませんが兎に角銀行が持つて来たと聞いたです。」旨同証人に対する裁判官の尋問において「問 森中が十万円は市民同盟に使つてくれと言つて持つて来たと話したか。答 そうです。問 そういう関係の銀行が突然金を使つて呉れと言つて持つて来たのはどんな訳か。答 次期選挙も控えているので、市民同盟に使つてもらう積りで来たのだと思います。問 何故。答 市民同盟は、市長の与党だからもつて来たのだと思います」旨の供述記載、同調書中証人広田敏男に対する裁判官の尋問において「問 証人としては、市長が貰つたのはどんな金だと思うか。答 市長に対するリコール運動の時にも、相当金を使いましたが、市長には一銭も出させていませんので、市長は同志の為に使いたいと考えられたのか、或は次期市長選挙の事を考えられたかは知りませんが、市長自身が私慾の為に貰つたということは絶対にないと信じて居ります。」旨の供述記載、同調書中証人広田敏男に対する主任弁護人の尋問において「問 森中が十万円の話を証人に話した時に政治資金として預つてくれと言つたのか。答 そう言われたように思います。問 証人は市民同盟の評議員をしているというが、証人は市民同盟の有力な幹部になつているのではないか。答 私は嘗て市民同盟の幹事長をしていたこともありますので、地位としてはそういう立場に居りました」旨、同調書中好並検察官の尋問において「政治資金には、法律上の手続が要るわけだが、政治資金として預つて、それから後の手続についての話合いはなかつたか。答 その金については、この事件が、済んでから処理するつもりでありましたので、その様な話があつたかどうか憶えません。」の供述記載原審第五回公判(昭和二十六年一月五日)調書中証人西川徳弥に対する武井弁護人の尋問において、「問 証人がこの公判廷で供述した様に、森中が銀行から十万円を市民同盟に使つてくれと言つて、もつて来たと言つたのは間違いないか。答 間違ありません。問 証人としては、市民同盟に使つてくれというのはどういう意味にとつたか。答 それが政治資金かどうかは私には判りませんが、要するに市長が、市民同盟に使つてくれと言つて、銀行から持つて来たと言いましたのでその金がどう云う内容のものであつても、返してもらうように市長に忠言しました。問 すると返してもらうよう忠言したのはその様な金は貰つておかない方がよいという単純な気持で言つたのか。答 そうであります。問 市民同盟の政治活動の為に使つてくれという意味にはとらなかつたか。答 そこまでは考えませんでした、とに角その金を受取ることが、いけないと思つて返してくれるように市長に云つたのです。問 すると証人としては受取らない方が無難だと思つたのか。答 そうです。問 私が尋ねたいのは、受取らない方が無難だと思つたというのだが、証人自身としてその金は市民同盟の政治活動に使つてくれという意味にとつたかどうかということであるが、その点についてはどうか。答その金の含みは、市民同盟の今後の政治活動に使つてくれということであるとは思いました。問 その様に思つたが併し政治献金として受取れば、手続がうるさいので返そうと思つたのか。答 私は政治献金の手続については知りませんが、その金が政治資金であろうと、何であろうと、その金を貰つておくのは、いけないと思つて市長に返してもらうように言つたのです。問 その金は市民同盟という団体に使つてくれという意味だという風には考えたか。答 そういう風に考えました。答 そういう風には考えたけれどもやつばり返した方がよいと思つたわけか。答 そうであります。」旨の供述記載原審第六回公判(昭和二十六年一月十五日)調書中、証人西川徳弥に対する主任弁護人の尋問において、「問 証人は政治献金には、政治資金規正法による届出が必要だということを知つていたか。答 その事は検事側から尋ねられました。問 証人自身としては、その事を知らなかつたのか。答 私は市民同盟の幹事長であり乍ら、政治資金規正法を知らないのは、はずかしい次第ですが、それまで市民同盟は政治資金を受けたこともありませんでしたので、政治資金規正法が何であるかも知らなかつたのです。それでとにかく、金を貰うこと自体が収贈賄になると思つて居りました。処が検事から政治資金規正法による届出のことを尋ねられ、その時に私はなるほどその様な手続をしておいたならこんな問題にはならなかつたのだなと思いました。問 すると検事からは、政治資金としての手続をして居ないから、政治資金ではないのではないかと問われたのか。答 そうです」旨の供述記載、原審第二回公判(昭和二十五年十二月一日)調書中証人広田敏男に対する及川検察官の尋問において「問 西川の家でどういう話があつたか。答 中略 すると市長は鳥取銀行から十万円受取つていると言われました。問 どういう金だと言つていたか。答 どういう金かと云うことはこちらも質しませんし、市長の方も言われませんでした。問 どういういきさつで鳥取銀行から十万円貰つたというのか。答 その点は私には判りません。問 西川宅でした相談の模様はどうか。答 その十万円の処置については、結局政治資金として私が一応預るということに決めた様に思います。問 どんな政治資金か。答 市民同盟に対する政治資金より以外にはないと思います。」旨同証人に対する裁判官の尋問において 問 政治資金としてというのはどういう意味か。答 市長が政治資金としようと言われたのか、私が政治資金として貰つたことにしようと言つたから、市長がそういう風にしたのか、その時酒を飲んでいましたので、よく憶えて居りませんが結局政治資金として一応私が預ることになりました。」旨の各供述記載があるから、これによつても被告人の前示供述は十分に肯定し得られる。換言すれば、被告人は株式会社鳥取銀行常務取締役八村信三より金十万円を市民同盟に対する寄附として受取つたものであることが明らかである。然らば、市民同盟とは何か、ここにおいてその性格如何を考察して見る必要があるが、これについては、原審第二回公判(昭和二十五年十二月一日)調書中証人西川徳弥に対する山崎主任弁護人の尋問において「問 市民同盟は政治団体として届出がしてあるか。答 届出がしてあります。問 市民同盟の会長は誰か。答 平尾富治です。問 顧問は、答 森中、米村信一、涌島だと記憶しています、問 他に役員は、答 議員側から三名議員外の同盟員から三名出しています。問 市民同盟員数は、答 私は最初からの同盟員でないので知らないが呼べば四、五十名出席します。問 全部でどの位の人数か、答 三百名内外と聞いています。問 最近はどうか。答 最近は少し減つて六、七十名だと記憶しています。問 市民同盟の目的は。答 明朗な鳥取市政の確立で、之に対する施策を幹部で決定されたものを全員にはかつて決定して行きます。問 市民同盟員の市会議員数は、答 十一名です」旨の供述記載、原審第六回公判(昭和二十六年一月十五日)調書中証人西川徳弥に対する福永弁護人の尋問において「問 市民同盟は正式の届出をいつ何処にしたか。答 団体等規正令により選挙管理委員会に届出てあります。問 市民同盟には会計帳簿の備付があるか。答 あります。問 すると会計帳簿により市民同盟に対する寄附等は明らかにしてあるか。答 今まで市民同盟に対しては、寄附を受けた例がありませんので、書いてはありませんがそういう例があれば明かにします。問 では本件の十万円が市民同盟に対する寄附とすれば、当然会計帳簿に載せなくてはならないわけか。答 そうであります。問 処が寄附とすれば政治資金規正法により、政治資金となるが、証人はその政治資金規正法を検討していたか。答 検討していませんでした。問 政治資金規正法を検討していなかつたので、本件の十万円は返すべきであると思つたのか。答 そうです。検事さんからも今なら君は、その金を受取るかと問われ、私は今持つて来れば、貰いますと答えますと叱られました。とにかくその政治資金規正法を知らなかつた為にこんな事になつたのです。問 知らなかつたというのは、政治資金規正法による寄附を知らなかつたと云うわけか。答 政治資金規正法自体を知らなかつたのです。それが為に一途にこの様な金を貰うことがいけないと思つていたわけです。問 要するに政治資金規正法に徹底していなかつたというわけか。答 そうです」旨の供述記載があるのでこれらに徴し結局市民同盟は、政治資金規正法による制規の届出をした政治に関する団体であることは明かである。是に依つて、之を観れば、株式会社鳥取銀行常務取締役八村信三が被告人に金十万円を交付したのは、市民同盟に対する寄附即ち政治資金規正法第五条に示す寄附であることが洵に明瞭である。

顧うに、我が国においては、旧来政界方面に民間その他より多額の金員が献金等の名によつて、醵出せられ、中にはその悪弊が国民をして目を掩はしめるものがあり且つ政党乃至政治を著しく不明朗ならしめるものがあつたことは争えない事実であつた。然るに新憲法実施以来、民主政治を期するがため、右悪弊を一掃し、政治の公明を図るがため、昭和二十三年七月二十九日法律第百九十四号を以つて、政治資金規正法が公布せられ、その目的たるや同法第一条に示す如く政党、協会その他の団体及び公職の候補者等の政治活動の公明を図り、選挙の公正を確保し、以つて民主政治の健全な発達に寄与するにある。而して同法第五条によれは金銭物品その他の財産上の利益の供与又は交付の約束を寄附として公認しているのである。又これら寄附などの収入且つ支出については、帳簿の記載、報告等同法第九条以下に厳格に規定している。従つて前記市民同盟に対する寄附もこれらの規定によつて処理すれは、何等犯罪に問疑せられる余地はない。されは、各種政治団体は一般民間から寄附の申出があるときは、大いにこれを歓迎し、右法律の精神に則つて、これを受入れ且処理し、以つて民主政治の健全な発達に寄与すべきである。然るに同法が未だ民衆、殊に地方政治家に徹底していなかつたため、被告人は市民同盟に対する寄附を受けながら、これを市民同盟の当時の幹部である西川徳弥、広田敏男に諮つたところ、西川徳弥は旧来の観念に捉われ一般銀行などより金員を受けるべきでなく、これは返却すべきものとして又広田敏男は政治資金の意義はよく判らぬままながら一応政治資金として同人が預ることにした(前示同証人等の証言により明かである)等これ全く地方政治の幹部として、法規に精通していなかつたため同法の示す制規の処理ができなかつた事は甚だ遺憾である。然しこれがため寄附が変じて賄賂となり収賄となることは断じてあるべからざることである。以上により被告人の所為(被告事件)は罪とならないものと思料するから、無罪の言渡を為さるべきである。

なお仮に右理由が排斥されるとするも、被告人は株式会社鳥取銀行常務取締役八村信三より交付された金十万円を所謂収受したものでない。即ち被告人は、右八村信三より預つた当時、市民同盟の幹事長西川徳弥に諮つたところ同人が返却するべきだと主張するので、これを返却する意思があり、これを自己のものとする(収受)の意思はなかつたのである。この点については、原審第三回公判(昭和二十五年十二月十六日)調書中被告人に対する検察官森井英治の尋問において、「問 被告人が八村から受取つた金はどんな種類の金か。答 千円札でした。問 其の金は何かに包んであつたか。答 新聞に包んであつたと思います。問 金額がいくらあると八村が言つたのか。答 八村さんが十万円あると言われました。問 被告人はその金を何処に保管していたか。答 私が洋服のポケツトに持つて居りました。問 其のように何時頃迄持つていたか。答 十月の十五日頃迄持つていました。問 そうするとその金はどうなつたか。答 十五日頃まで持つていましたが結局十五日の市警察署の庁舎の鍬入式に行くまでに、商品券問題が起きていたので、其の金を混同して誤解を受けてはと思い、市役所の金でもなく、私の金でもないので県庁前の県政会館の前を通つたついでに、寄つて其処に置きました。問 誰にあづけたのか。答 其処に心安いので行きましたが、誰も居られず、台所の方に若い娘さんが居られましたが黙つて上つて二階の天井裏に置きました。問 被告人は其の金の処分について依頼したことはないか。答 天井裏に金を置いたことは広田に話しこのような事情で預つているが返す機会もなく市役所の金でも私の金でもないから、あなたがあずかつてもらいたいと言いました。問 それは何時何処で話したのか。答 十五日の夜か十六日の夜西川氏の宅で話しました。問 被告人が進んで話したのか。答 それは市警察署の鍬入式があつてから、後に広田が新聞に出ているようだが市会議員が商品券をもらつている、引続いて市の当局側にも及ぶと言つたので、私は私も預つて居るが、西川幹事長に話したら、西川が返す方がよいと言つたので、返す積りでしたが、八村さんが逮捕されて返せないという事情を広田に話し、それで私が今預つているがそれをあなたがあずかつて呉れと話しました。問 市民同盟には会計係があるか。答 あります。問 被告人が受取つた金は会計係に渡すべきだのに何故十五日迄の間ももつていたのか。答 市民同盟に対する寄附としてあずかつたが、幹事長の西川に相談したら返した方がよかろうと言つたので返す積りでしたが、八村が逮捕されて居らないので返せませんでした。返す考えになりそれから二日か三日して八村が逮捕されて返す機会がなかつたのです」旨並びに前記原審における証人西川徳弥の供述記載に徴し明瞭であるのみならず、被告人は当時鳥取市長として、公金も所持し又私用の金員をも所持して居る関係上これらと混同を避けるため県政会館に別途保管していたもので、仮令その金員の内一部を他に流用したことがあるとするも忽ちこれを補い又一部両替したとするも特定物(封金)でない限り預つたと同額の金員を保管し、返却の機会を待つていたことは畢竟するに、返却するの意思言い換えれば交付を拒絶する意思があつたものと断じ得るのである。而かも現に右金十万円をばそのまま本件証拠品として押収してある事実によつても、何時でも返戻し得る事は明かである。

殊に原審判決は、「鳥取銀行取締役八村信三より暗に同趣旨の請託を受けるや、之を黙諾した上暗に右指定に関する報酬を要求し同人より被告人の該要求に応じて供与するものであることを知りながら現金十万円の供与を受け以つて職務に関し賄賂を収受した」旨判旨されているけれども、この事実を肯認する的確な証拠はない。以上により本件被告事件(公訴事実)については、犯罪の証明が充分でないから無罪を言渡すべきである。

二、原判決にはその訴訟手続に法令の違反があつて、その違反が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決によれば、「右事実は当公廷における証人吉村哲三、八村信三の供述(各第一、二回)同証人広田敏男の供述、裁判官の証人吉村哲三及び同八村信三に対する証人尋問調書の記載、検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、同作成の八村信三の第五回供述調書、同作成の西川徳弥の第八、九回供述調書の記載を綜合して之を認める。」と記載し、右証人の供述及び右証人尋問調書の記載並びに右供述調書の記載を採つて以つて原判決に摘示せる事実の認定資料としている。然れども右原審公廷における証人吉村哲三、八村信三の供述(各第一、二回)同証人広田敏男の供述(本件記録を援用す)には、原判決に摘示せる被告人が株式会社鳥取銀行の取締役八村信三より請託を受けこれを黙諾し職務に関し賄賂の収受をしたことについて証言されていないから、これによつて原判決に摘示の事実を認定することはできない。次に(一)裁判官の証人吉村哲三及び同八村信三に対する証人尋問調書(二)検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、(三)同作成の八村信三の第五回供述調書、(四)同作成の西川徳弥の第八、九回供述調書については、原審において、被告人及び弁護人よりこれを証拠とすることに同意せず且つその証拠調に関し異議を申し立てたのである。これがため原審においては、この異議を理由があるものと認め、この証拠につき須らく排除する決定を為さるべきであつたのに拘わらず簡単に異議の申立を却下して、これにつき証拠調をしてこれを証拠として採用せることは、正に訴訟手続に法令の違反があるものと謂うべきである。

右(一)の証人尋問調書については検察官より刑事訴訟法第三百二十一条第一号に該当する証拠として提出したのであるが元来右規定第一号の書類は法文に明示する如く、その供述者が死亡精神若しくは身体の故障、所在不明若しくは国外にいるため公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき、又は供述者が公判準備若しくは公判期日において前の供述と異つた供述をしたときに限るのである。即ち同条第一項に被告人以外の者が作成した供述書又はその者の供述を録収した書面で供述者の署名若しくは押印のあるものは、左の場合に限り、これを証拠とすることができると規定しているのであるから、謂わば厳格なる証拠法則の制限的規定である。故に同条を例示的なものとし供述者が死亡等の場合を例示し供述者の供述を証人として法廷に再現することができない場合を、すべて包含すると解するのは、余りに甚しい誤解である。言うまでもなく刑事訴訟法において、証人が自己又は親族の者等に刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞のある等の場合に、証言を拒むことができることを規定しているから、本件原審における証人吉村哲三、八村信三の法廷において証言を拒むことおば刑事訴訟法の予測するところである。然らば、若し刑事訴訟法第三百二十一条第一項第一号において、証人が証言を拒んだ場合をも、公判準備若しくは公判期日において供述することができないときに包含せしむるものならば、須らくその規定において、証人が証言を拒んだときをも明示すべきである。然るにこれを明示しなかつたことは当然証人が証言を拒んだ場合は同項より除外したものであつて、立法当時右予測できたことを不用意に脱漏したものと謂うことはできないばかりでなく、証言が法廷に再現できない場合をすべて包含すると解するが如きは、刑事訴訟法における証拠法則を根本より覆すものである。況んや証人が法廷で法に定められたところに則り証言を拒む場合は、前の供述と異つた供述をしたときに該当しないことも勿論である。殊に本件の吉村哲三、八村信三の如く証人として裁判官の尋問に対し証言した者が裁判所の法廷において、同一事項について証言を拒むことが甚だ解し兼ねる。裁判所の法廷において、証言を拒むならば、裁判官の面前でも証言を拒んだ筈である。これは裁判官の面前で証人が証言した場合に、その証人尋問調書には概ね「裁判官は別紙宣誓書により宣誓させた上、偽証の罰を告げ、証人に対し自己又は刑事訴訟法第百四十七条に規定する者が刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞ある証言を拒むことができる旨を告げて次のように尋問した」旨記載されているが果してそうした手続が行われたかどうか疑わざるを得ないばかりでなく、恐らく証人として証言を拒み得たのに、これを知らず、軽卒にも尋問に応じて証言したものに外ならないと思料せられるから、その証言は刑事訴訟法第三百十九条に所謂その他任意にされたものでない疑のある自白であるから証拠とすることができない。

次に右(二)乃至(四)の検察官作成の供述調書については、検察官より刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号に該当する証拠として提出したのであるが、就中検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、八村信三の第五回供述調書は、同第二項が前記の通り制限的規定であつて、これに該当しないのみならず、証人が法廷で証言を拒んだ場合は同第二項に規定する公判準備若しくは公判期日において前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたときにも該当しない。而して右(二)乃至(四)の検察官作成の供述調書については、刑事訴訟法第三百二十一条第一項第二号但書に規定する如く、公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況の存するときに限るのであつて、この前の供述を信用すべき特別の情況の存する事実は、検察官において、これを明らかにすべきであるに拘わらず本件においては何等これについて、明らかにされていない。而も同法第三百二十五条の規定によれば同法第三百二十一条乃至第三百二十四条の規定により証拠とすることができる書面であつても予備的審査をした後でなければ、証拠とすることができないことが明らかである。この規定が実際において、殆んど無視されるかの如き感があるのは、頗る遺憾であると謂わざるを得ない。原審第三回公判(昭和二十五年十二月十六日)調書中証人中浜通則の証言によれば、同人は鳥取刑務所の刑務課長であり昭和二十五年十月十五日より同年十一月二十四日迄の間、鳥取地方検察庁の検察官が本件関係者である西川徳弥其の他の者を午後六時頃から遅きは午後十一時五十分迄鳥取刑務所において屡々取調べたことが首肯できるのみならず右(二)乃至(四)の検察官作成の供述調書は、何れも供述者が勾留中に取調べを受け供述したもので、勾留中の者が夜中検察官の取調を受けるにおいて、通常人は心の平静を失い、他面自ら心理的強制を受け勝ちなので、尋問に対して供述に窮し、その供述に任意性を欠く疑のあることは察するに難くないのみならず現に原審第六回公判(昭和二十六年一月十五日)調書中証人西川徳弥に対する主任弁護人の尋問において「問 証人は森中氏の十万円の問題について検事に対しては、最初は、昨年の十月十五日に始めて聞いたと述べていたのか答 最初も終もそういう風に述べていました。問 処がそれを云い改めると保釈に対する検事の意見に影響があると思つていたか。答 大いに影響があると思つていました。昨年の十月二十五日に及川検事が私を調べられた時にも、私は森中市長が九月二十七日頃に、十万円のことを私に話したということを述べようと思つて、言い出そうとしたのです。すると及川検事は、ぢや君は事前に知つていたのかと強い調子で尋ねられましたので私は、いや十月十五日に始めて聞いたのですと言いました。問 証人は政治資金には、政治資金規正法による届出が必要だということを知つていたか。答 その事は検事側から尋ねられました。問 証人自身としてはその事を知らなかつたのか。答 私は市民同盟の幹事長であり乍ら政治資金規正法を知らないのは、はづかしい次第ですが、それまで市民同盟は政治資金を受けたこともありませんでしたので、政治資金規正法が何であるかも知らなかつたのです。それでとにかく金を貰うこと自体が収贈賄になると思つて居りました。処が検事から、政治資金規正法による届出のことを尋ねられ、その時に私はなるほどその様な手続をしておいたならこんな問題にはならなかつたのだなと思いました。問 すると検事からは、政治資金としての手続をして居ないから政治資金ではないのではないかと問われたのか。答 そうです。問 それで証人としては、検察官作成の第九回供述調書記載の様なことを答えたのか。答 そうです。問 証人に対する検察官作成の第八回供述調書によると市長がどういう為に十万円を貰つたのか同人もその事に就いては言いませんし私等も別に聞きませんが、私の想像では、リコールの際に相当出費しているので、その方の穴埋めか、それ共この度の市金庫指定の件が円満に終つた後に我々市会議員に一杯出す為の費用として貰つておいたのではないかと思いましたとあり、その次に市長は鳥銀の八村が持つて来た趣旨は、市金庫指定について何分尽力されたいという様なつもりで持つて来たものだと言つて居りましたとありこの二つの供述は矛盾するように思うがどうか。答 私は今度の事件で始めてくゝられたのですが、くゝられてから常に私は、検事というものは何でも罪をつけるように誘導尋問をするものだと思いました、それで検事がこうかと問えばそうですと何でもかでも言つておけばよいと思つたのです。つまり私は一つの冷静さを失つていたのです。この様な心理状態になるということは残念でありますが、自分に何等関係のないことについては、私は検事に対し、好きな様に書いて下さい私はめくら判を押しますからと言つて居りました、このことは検事さんも知つて居られるはづです。私にどうしても判らないことは、検事というものは何でもないのに罪をつけようとすること自体であります。問 それで証人は、この二つの供述記載について、その様な供述をした記憶があるか。答 その様なことを述べた記憶はありませんし、さつきも言いますように、私は検事から、こうだろうと言われると、そうですと答えていました。問 この二つの供述記載の中、証人としてはどちらが本当か。答 最初の方が本当だと思います。問 この第八回供述調書は昭和二十五年十月十四日の調書だが。答 大体私は十月十一日には多分帰してもらえるだろうと思つていましたが、帰してもらえませんでした、それでそれ以後は、何でも検事の問われる通りに答えておけばよいと思いましたので、その通りが調書に出ているかも知れませんが、今考えてみますと、その様なことを言つた憶えはありません。問 すると証人としては、十月十一日には釈放されると思つていたのに釈放されず、それでいつまで勾留されるか判らないので、検事の希望している通りに述べれば、早く保釈してもらえるだろうというわけで、検事の誘道尋問に対し迎合的に答えたところがあるというわけか。答 そうであります。」旨及川検事の尋問において「問 この第八回供述調書については、読聞けたことは間違いないか。答 形だけは読聞けてもらいました。問 読聞けてもらつて、証人がその点は違うと言つたところはその都度訂正したかどうか。答 私が消して頂きたいという点をその場では消されないで拇印したこともあります。そして検事さんが読もうかと言われても、私がまあいいですと言つたような事は再々ありました。問 それは証人が述べたことを検事が事務官にその場で口授して調書に書かせるので証人もその口授を聞いていたわけであるから何れにしても証人はその調書の内容を聞いていたわけではないか。答 そうです、併し検事の問には誘道尋問的なところも沢山ありましたので私に不利でない事については、問われるまゝにそうですと答えたようなことも多分にあります。」旨の供述記載によつても前記供述調書に記載されてある供述は何れも刑事訴訟法第三百十九条の規定に所謂その他任意にされたものでない疑のある自白と謂うべきで、これを証拠とすることは、違法である。然るに原判決はこれらを証拠とし被告人に対する公訴事実を認定したので訴訟手続に法令の違反があり、これが判決に影響を及ぼしていることは明瞭である。

三、原判決は刑の量定が不当である。仮に被告人が有罪であるとするも、原審は被告人を懲役一年二月に処する本裁判確定の日より三年間右刑の執行を猶予する旨の判決を言渡したが、被告人は多年地方行政の職務を鞅掌し来り最後に鳥取市長として勤務したのであるが、本件のためその職を奪われ、只管一家の生活を犠牲にして謹愼している。この汚名を払拭しなければ、将来社会人として立つこともできず且つ一家の生活も困窮するに至るであろうことも耐え忍んでいるのである。その諸般の実情に照し被告人に対し懲役一年二月は刑罰の度を超えて残酷であるのみならず三年間の執行猶予の期間も永きに失する。(本件訴訟記録全部援用)。

山崎弁護人の控訴趣意

第一、原判決には事実の誤認があつてその誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから原判決は破棄すべきである。その詳細は次の通りである。

(一)原判決は「前略、銀行取締役八村信三より暗に同趣旨の請託を受けるや、之を黙諾した上「いろいろ金が要りましてなあ」と答へて暗に右指定に関する報酬を要求し即時同所において同人より同人が被告人の該要求に応じて供与するものであることを知りながら現金十万円の供与を受け以て……賄賂を収受し」と認定しているけれ共之に照応する証拠は原判決引用の証拠中には存しないのである。全く証拠によらずして徒らに想像を逞しうし以て事実を誤認したものである。

(二)本件の事実関係の真相を窮明すれば先づ争ない事実としては当時被告人は鳥取市長でその与党たる市民同盟の顧問であるが本件発生前市長リコール問題等起り鳥取市内は騷然たるものがあり市長派の市民同盟は之に対抗する為事実相当の費用を要した一方昭和二十五年九月中旬頃より市金庫指定の問題が起つて居た。斯かる際同年九月二十五日頃鳥取市西町蓬莱館で被告人と前記八村信三とが面会し金十万円の授受が行はれた。而して被告人は之を逮捕される迄の同年十月十七日頃迄右金員を費消せず保存していたことである。次に被告並に八村証人の証言で一致している点は蓬莱館で被告人と八村信三とが面会した際先づお茶の先生の話が出た事である(証人沢かめも亦八村とお茶の会の話が交はされた旨述べて居り之は傍証となると思う)。此の事実より本件面会の目的が被告人の言うお茶の先生の病気の見舞の打合せであるとのことが理由なく排斥し得ないと考える「リコール」問題が出た事も被告人並八村証人間に一致している。唯その出た時機が十万円授受の前であつたか後であつたかは明確でない。被告人が右十万円を費消していない事は争うべき何等の証拠がない(一万円流用しても直に補填していること、代替物であることより領得の意思を推定することは出来ない)。右金十万円受領後被告人は之を自己の用途に費消しようと思へば十万円位の金はその手間暇を要する程のものではないのに大切に保存している。市民同盟幹事長西川徳弥に九月二十七日頃十万円鳥取銀行の八村信三氏より託されていることを告げ受領すべきか否かを相談したところ西川は之を受取る事は誤解を招く虞があるから返す様に言つた(此の点被告人並西川証言一致)ので返還することに決め返還しようと思つている中その二、三日後に八村氏が逮捕された為返還の機会を失つたのでその後前十万円の措置に困り公金でないので市役所にも置けず又被告人の個人有でもないので自宅にも置けず突嗟に保管場所に窮し県政会館の天井裏にハンカチで包んでしまつて置き市民同盟の有力幹部である広田敏男に之が事情を打明け保管を依頼したのである(被告人及広田証言一致)。以上が大体動かない事実関係と信ずる。

(三)、被告人が原判決認定の如く「黙諾した」と云うことは被告人の強く否認するところであり之を覆すに足る確証はないと思う。又「暗に報酬を要求し」と云うが如きは全くの独断であつて明に事実認定を誤つたものである。原審の証拠によれば八村信三は金三万円を西川徳弥方に持参して無理に置いて行つたことが認められ(八村信三、西川徳弥の証言)又本件の十万円よりは別個に別に金十万円を米原章三を介し被告人森中に供与しようと企図し更にその他鳥取市会議員山田武一に金一万円を交付したことが認められる(八村信三等の判決も之を認定している)。斯くの如く他の諸場合に積極的に所謂「押しかけて持ちかけ」たものが本件のみ「暗に要求した」と認めるには余程確実な他の場合と特別に変つた動かすことの出来ぬ証拠のない限り之を認めることは出来ないと信ずる。斯の如きは凡そ人間の思考方法、行動の傾向より見て許し難いことであるからである、証人八村、吉村の証言が同人等に有利になる様意識的供述をしていることも想察し得るのである。八村信三より積極的に寄附の意を表明して預けて去つたとの被告人の弁解を軽々に排斥することは出来ぬ。被告人は市民同盟に対する寄附として十万円預つたと主張して居り之を否定する確証はないのみならず前記の如くその直後に市民同盟の幹事長西川徳弥に之を諮つているのである(西川証言、被告人供述一致)。此の点に付ての西川証言を否定すべき何物もないし原審第六回公判調書中西川証言中「昨年の十月二十五日に及川検事が私を調べられた時にも私は森中市長が九月二十七日頃に十万円のことを私に話したということを述べようと思つて云い出そうとしたのです、すると及川検事はぢや君は事前に知つていたのかと強い調子で尋ねられましたので私はいや十月十五日に始めて聞いたのですと云いました」との供述は全く自然であつて措信するに足るのである。自分を取調べた及川検事の立会つている面前で自己の起訴され未だその裁判進行中之だけ判然と云い切つているのである。検事の前で一度供述したことを覆すことは真実であるとの確信があつても――通常人にとつて如何に困難であるか(殊に勾留中である時に於ては)我々法律実務家の想像外であることを本弁護人は痛切に感じているのである。日本人は権力に弱い国民性(即ち封建的色彩)の濃厚なものを残存させて居り右西川証人が涙を以て右証言の真実性を語つているのを本弁護人は疑う余地が無いと確信して居る。然るに原判決言渡の際裁判官は「此の点に関する西川証言は措信せぬ」と簡単に排斥した。此の点は如何に観ても誤りである。仍つて被告人が此の十万円を「私」する意思なく一応保管したものであることは推認出来るのである。収賄と云うが為には交付を受けたものを領得(自己及第三者の為め)する意思を要すること言を俟たないであろう。領得の意思が何処に認められるであろうか。却つて最後迄之が十万円として保存されて居た事は受領(領得)の意思が無かつた事を裏書きするものであり此の点に関する被告人の主張は理路整然としていて之を排斥すべき確証は無いものと信ずるのである。

(四)被告人の主張は終始一貫しているのであり現に十万円は現存しているのである。十万円を置いていた場所も被告人主張の如く不自然とは思はれない。之に悪意を推定して犯意を認定するには余程的確強力なる証拠を必要とすると思うのである。鳥取市警察署長の極めて非常識不穏当な十月十五日鍬入式の宴席の言動により被告人並に広田敏男等が周章狼狽し為に却つて有害無益な心配と神経を使い犯意に付徒らに疑いを深められる様な結果になつていることも留意する必要があろう。森中被告人の第一回公判で同被告人が金十万円を市民同盟の寄附金として預つた旨主張するや直ちに鳥取地方検察庁はその翌日八村信三、吉村哲三等を検察庁に呼出し政治献金ならば公職追放令違反だと云うことの取調を為したのであるが(同証人等が公職追放令違反の訴追を極度に恐れていた事は事実である)近々数日後本件第二回公判期日に同人等が証人として召喚が決定されたものを右の如き方法で取調べて果して素直な真相が把握し得るであろうか敢て不法とは云はないけれ共随分不穏当な捜査方法と思うのである。取調官の意企如何に拘らず結果より見て一種の心理強制の虞を生じ牽制となるのではなかろうか。被告人が第一回公判迄十万円授受の点の供述を拒否した事に付ても被告人が他の関係者に迷惑を及ぼすことを恐れ、且つは取調官の態度及法の苛酷なるものを感じ公判廷に於て総てを明確にする迄真相を語ることを拒んだのであつて何等責めらるべき事柄ではないのである。茲に於て本弁護人は次の一句を引用する。「精神的事実は最も濃厚なる嫌疑を懸けるに足るが如き性質のものと考られる場合に於ても真実は然らざることがあり(中略)従つて精神的事実を解釈するに当つては須らく高潔なる精神と人が一朝にして被疑者として苦しい立場に置かれた場合に現はれる人の弱点に対する適当なる寛容の精神を以て之に臨むべきである」(ウイル著情況証拠の原理司法資料二七二号一五八頁)。高潔寛容の精神を以つて以上の諸点を熟慮されるに於ては自ら原判決とは異なる観方が生ずるであろうことを信ずるものである。

第二、訴訟手続に法令の違反があり且つ法令の適用に誤があつてそれらが判決に影響を及ぼすことが明で破棄相当である。

(一)原審に於ては検察官作成の西川徳弥の第八、九回供述調書の証拠調を為し殊に第六回公判に於ては同人の第九回供述調書を「任意性」があるとしてその証拠調を為し原判決に之を証拠として引用している。刑訴法三二一条一項二号の此の調書は任意性のみならず「公判期日における供述を信用すべき特別の情況の存するときに限り」証拠とすることが出来るのであるが此の信用すべき特別の情況に付ては何等の配慮も立証もなく弁護人の異議を却下しているのである。此の点明かに法令違反の手続であり又之を証拠に採用する事は違法の証拠採用である。又同人の第八回供述調書採用の特別の情況の存在に付第五回公判調書には「……この様な意思を持つている者が刑務所から出て色々証言について訓練を経ていることを思へば日を経るにつれ供述の真実性は消滅しているとみるべきである」との記載がある之れ全く憶測独断の誹りを免れないであろう。「証言について訓練を経ていることを思へば」(仮定的な提言を特に注意する必要がある)とは一体何を指すのであろうか何の証拠により之を推認したのであろうか。斯かる仮定的前提の下の判断で以つて此の特別の情況の存在を認定するが如きは無謀も甚だしいと謂へないであろうか。又斯かる主張を認めるとすれば公判中心主義と直接証拠の原則を定め例外的に「信用すべき特別の情況」なる重大なる制限を附した検察官の調書が常に大手を振つて認められることにならざるを得ないであろう。公判は検察官の取調より通常後になるからである。又其の証人も被告人に好意的立場の者も大半であろうし被告人の有利な証言なり証人なりは常に此の例外を適用されることになれば原則と例外は逆転し右の但書は結局有名無実となるであろう(現にその傾向が生じつゝあることは憲法と刑訴法の精神を無視するもので厳に警戒を要すると考える)。「公開の法廷で被告人や事件関係者等の環視されているなかでなされる供述の方が、非公開の場所でなされる供述よりも信用度の高いことは世界的な経験がこれを証明している」(法律時報昭和廿五年十月号六一頁)殊に封建性の残滓の強い即ち権力の前に弱い国民性と云はれる日本人は権力者検事、判事の非公開の尋問には抵抗力弱く誘導にかゝり易いことを考慮せねばならないであろう。又その為を考慮した立法とも云へるであろう。右の如き違法は原判決を破棄すべき理由となるものである。

(二)西川徳弥の第八回第九回供述調書の任意性不存在の疑について。更に進んで右調書の任意性の無いこと、少くともその疑の存在について論及する。(1) 第六回公判調書の証人西川徳弥の証言を茲に全面的に援用する。特に「自分に何等関係のないことについては私は検事に対し好きな様に書いて下さい私はめくら判を押しますからと云つて居りました」「検事の問には誘導尋問的なところも沢山ありましたので私に不利でない事については問はれるまゝにそうですと答えたようなことも多分にあります」等の記載 (2) 第五回公判調書中の西川徳弥の証言も援用する。特に次の記載を援用する。「問、検事が君が今此処でこの事件で首を括つて死のうが君の妻が病気で死のうが検事の知つたことではない」と云つたことがあるか「答、あります(中略)私はその言葉を聞いて非常に悩みました」「とにかく、あの言葉は検事の立場で君達がいつまでも白状しないのならという風であつたと思います」並に好並検事の反対尋問中の「問、それは証人が八村から金を受取つた事実はないと頑張りいつまでも釈放されないそこで証人が釈放してくれと云つた時の話ではないか」「答、その時の話でありました」「問、前略、君の奥さんが病気になつているとか聞いて、その様なことを云つたと思うがどうか」「答、とにかく、あなたは、君達が首を括つて死のうが、妻が病気で死のうがそれは検事の知つたことではないと云はれました」等(註、西川の妻が病気になつていた事実はない)右の如き公判調書は検察官に対する西川徳弥の供述調書が強制、誘導、脅迫的言動が行われたことを疑うに足るものではあるまいか。(3) 弁護人より原審提出の「検察官提出の供述調書につき任意性を否認する申立の要旨」なる書面(記録三〇七丁)記載の事項並に同書記載の証拠を茲に援用する。尚右書面三項記載の検証申立を(之は任意性を疑う重要な事項である)却下した事は不当な措置である。鳥取刑務所刑務課長戒護係長等が西川徳弥につき逃走並自殺の虞なしと判断して捕繩、手錠を用いず寛大に取扱い何等の故障も不都合も生じていない状態が続いていたし具体的に生ずる危険を発生していなかつたのに拘らず好並検事が此の処置に介入し鳥取刑務所長に捕繩並手錠の使用を強硬に勧告した事は第三回公判調書の検察官好並健司の「絶対差別待遇をしない旨厳重申入れをした」との自らの主張や「怪電話」云々(如何なる者が如何なる悪戯をしたか根拠の知れない電話に踊らされた様子が躍如としている様に思う)や同検事の前で「戒護課長が謝罪した」旨の記載が如実に物語つていると思う。而して証人中浜通則の証言中の「問、十月二十四日に私(好並検事)が所長に行つた時に私が西川徳弥及森中豊治に対しては手錠を使用しないで他の有識者と別箇の取扱を何故したかと尋ねたかどうか、答 その事は私も聞きました、問、又その時に私がその様に西川や森中らに対して別箇の取扱をしていることについて刑務所側で収賄しているという世評があるということを云つたかどうか。答、聞きました」との供述記載は同検事自ら「語るに落ちた」との感が極めて深い(刑務所長は涜職容疑は調査したがなかつたと証言し好並検事は確証があつたやの発言があるが其の結末が如何になつたかその結末も不可思議である)。監獄法第十九条の「戒具ヲ使用スルコトヲ得」との規定は新憲法の精神により可能な限り無罪を推定されている被疑者に対して自由の制限を差控え、且名誉の保持に細心の留意を為すべきは勿論である。検事の主張する「絶対差別待遇をしない」とは如何なることを指すのであろうか、之は仮へば刑訴法五八条の「勾引することができる」との規定があるのを運用するに際り「絶対差別待遇をしない」として片つ端から之に該当するものを勾引することがあると仮定すれば不当で許されないものであること無論で之と比較して自明であろう。被疑者の具体的事情即逃走並自殺の虞の有無等の事情を検討し長年その事に掌つて居り且つ権限ある刑務官が捕繩手錠を使用する要なしとして之を実行し而も何等故障のないものを検事が彼是干渉するの必要が何処にあるであろう。逃走の虞がない事を検事自身認めていたことは勾留請求の理由、弁護人の保釈請求に対する検事の意見からも凡そ明であるし無罪を主張し信じ(一審無罪判決)ている西川被告人が自殺の虞(殊に事案の性質より観ても)など絶対にない事も健全な常識を持つものならば明瞭と信じる。而も他方第五回公判調書中の証人西川徳弥の「私が刑務所に入つた翌日戒護課長とかいう人に出頭を命ぜられその人から君達は町では相当名を知られ一応紳士であるので逃亡も何もしないだろうから手錠も捕繩もかけないと云はれましたそしてそのまゝ手錠も捕繩もつかなかつたと思います唯笠だけをかぶらされました処がその翌日からは検察庁等に出頭する時には手錠や綱をつけられました、問、その様に証人は手錠をはめられてどう思つたか、答、やはり検察庁の方から手錠をはめろと云はれたのだと思いました」との証言により西川徳弥は検察官の関与又は干渉による結果として斯く処遇変更がなされたことを早くも意識していたのである。斯くて自己が生れ落ちてから育ち現在に至る迄住んでいて知人の多い鳥取市の目貫道路とも云うべき人通りの多い街道を時には雨や霙の中さえ手錠、腰繩で恰も「牛馬を追うが如く」約二丁程日々数回往復歩かせられ、此の姿が知人に見付かりはせぬか家族のものに見られはせぬかと神経を痛めながら歩かせられたのである。基本的人権が如何に無視され蹂躙されているか弁護人は徳川時代の「街の引廻し」「サラシ者」と感じ心よりの公憤を禁じ得ないのは間違いであろうか。以前裁判所と検察庁とが同一構内にあつた時は存しなかつたことで昨年両者が分離してから裁判所拘置監のみ存し検察庁に仮拘置監の設備をしなかつた事より起つている非人道的現象である。右の如きは検事の権限ではなく刑務所長の権限で検事に何等関係なしとの主張の如きは許し難い官僚の独善的遁辞と云えないであろうか。而も西川徳弥、森中豊治等は前記の如く斯かる処遇が検察庁の指し金であることを認識していたのである。威圧、脅迫と同人等が感じ得ないでいられるであろうか。(4) 兎に角右の如き情況に加うるに弁護人の被疑者との交通権に対する不当なる制限(証人君野順三の証言)検察官の取調中の不当な言語等の事情あり(前記申立の要旨参照)斯かる状況下の尋問調書及斯かる検事並にその指揮下の検察官の西川徳弥の供述調書に任意性あることを認めることは出来ないと思う。少くとも任意性不存在に付極めて濃厚な疑を持つものである。況んや刑訴法三二一条第一項第二号の但書の公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況存するものとは断じて考えられないところである。以上により違法な証拠による事実認定であつて当然之は判決に影音を及ぼしているものと信ずるので原判決は破棄相当である。

(三)(1) 検察官作成の吉村哲三の第三回供述調書、八村信三の第五回供述調書についても右(二)の事情殊に前記(4) の推論より任意性の不存在に付疑ありと思うものであり同一条件下に勾留され斯かる影響の払拭されたとの証明のない、即ち未だ払拭されない状況下ではないかとの疑ある裁判官の証人吉村哲三、同八村信三に対する証人尋問調書に付ても任意性に対する疑を主張するものである。

(2) 尚裁判官の証人吉村哲三、同八村信三の刑訴法二二七条の証人訊問調書の証拠能力に付ては法律上種々の疑問があるがその一つとして刑訴法二二七条には同法第二二三条第一項の任意供述者を前提としている。然るに本件の右吉村、八村証人は第二二三条の「被疑者以外の者」ではなく互に必要的共犯者として、被疑者として勾留中の者である。従つて第二二三条の規定による所謂参考人として出頭した者の任意的供述では無い。従つて二二七条を用いて証人訊問を行つた右証人訊問調書は何れも法律の解釈を誤つて証人訊問を行つたもので違法である(法律時報昭和二十五年十月号六二頁御参照)。右(1) (2) の事由も原判決破毀の理由となるものである。

第三、刑の量定重きに失し不当である。仮に原審の如く被告人を有罪と認定するも懲役一年二月但三年間執行猶予なる判決は重きに失しているので破棄すべきである。(1) 被告人の経歴に於て、其の人となり、人生への真面目なる努力家なること、従来の社会人としての貢献、年令等殊に本件発生の為市長の職と長年努力による名誉を一朝にして失い元来物質的に惠まれない上に物慾に薄い為忽ち将来の生活に窮する実情を御考慮賜り度いのである。(2) 本件収賄は市金庫指定に何等影響を与えなかつたこと、即ち十万円の授受は市金庫指定にプラスもマイナスも与えなかつた事である。市金庫指定は斯かる暗影により全然左右されず無影響で進むべき方向に進んだことは原審の全証拠により極めて明かである。(3) 十万円を全然使用して居らぬこと。此の点も被告人に悪心が存しないか有つても極めて薄いことを立証するものである。徒らに私利を図つたものでない事を推測出来ると思うのである。(4) 贈賄者吉村哲三、八村信三等との刑の均衡という点についても被告人の刑は重きに失する。右吉村及八村は各罰金五万円であるが懲役刑は全然ないのである。それと比較し被告人は執行猶予とは云え懲役一年二月である。原判決は恰も被告人が十万円を暗に要求したかの如く認定しているが前記第一(三)掲記の如く被告人から要求したものではない。少くとも要求したとの確証はないと信ずる。贈賄者側との比較に於て被告人の刑は苛酷であると思う。仮に原判決認定の通りとしても刑の均衡がとれていないと思うものである(御庁に控訴中の被告人吉村哲三等の事件記録御参照)。

武井弁護人の控訴趣意

第一、原審判決には事実の誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである。

原判決の認定した事実は「被告人は昭和二十四年五月九日鳥取市長に就任し-中略-鳥取市においては市長の該権限にもとずき、従来株式会社山陰合同銀行がそれに指定されていたところ、昭和二十五年五月四日同令の改正により、地方自治団体の長は、改めて議会の議決を経て、同金庫の事務の取扱をなす銀行その他の者を指定しなければならぬこととなり被告人も亦鳥取市長として、責任を負うに至つたのであるが鳥取市においては前記山陰合同銀行並びに株式会社鳥取銀行がその指定方を希望し、両者の競争となつたため、右鳥取銀行取締役岸根幸市は、特に同年八月頃同(頭取)吉村哲三名義の陳情書を被告人に提出し、市金庫指定方の請託をし、希望実現方につとめたが、被告人は容易に諾否を決せず、同年九月二十五日頃鳥取市西町蓬莱館こと沢かめ方において被告人の求めにより、同所に来た同銀行取締役八村信三より暗に同趣旨の請託を受けるや、之を黙諾した上いろいろ金が要りましてなあと答えて暗に右指定に関する報酬を要求し、即時同所において同人より同人が被告人の該要求に応じて供与するものであることを知りながら、現金十万円の供与を受け以て被告人の前記職務に関し賄賂を収受したものである」と謂うにある。然しながら(一)被告人は鳥取銀行取締役八村信三より暗に同銀行の同市金庫に指定方の請託を受けて之を黙諾した上暗に右指定に関する報酬を要求したのか否か、(二)現金十万円は市金庫の事務の取扱指定に関し被告人が職務に関し供与を受けた賄賂であるか否かに付原判決には事実の誤認がある。

即、原審第一回、第三回、第六回、第七回各公判調書中の被告人の供述記載を綜合するときは被告人は鳥取銀行取締役八村信三から暗に市金庫指定方の請託を受け之を黙諾したことはなく同人から渡された金十万円は被告人が顧問であり且市長である被告人の与党である市民同盟(政治団体として制規の届出あり)に対する寄附金であり被告人は之を預つたものである。所謂政治獻金であり賄賂ではない。該金円は同人より寄附すると云うて持掛けられたもの言換えれば同人より提供されたものであり被告人より要求したものでは絶対にないと謂うのである。而して原審公判証人西川徳弥の第二回公判調書中山崎主任弁護人の尋問に於て「九月二十七、八日頃自分の八畳の部屋に於て被告人から鳥取銀行が市民同盟に使つてくれと言つて金を持つて来てると謂はれたその金の性質は政治資金であるがその法的根拠も知らないがとにかくその金は政治資金に使つて呉れと言われたことは間違いない」旨、裁判官の尋問に於て「被告人から金十万円は市民同盟に使つてくれと言つて鳥取銀行が持つて来たのだと聞知したが鳥取銀行は市民同盟は市長の与党であるし次期選挙も控えているので市民同盟に使つてもらう積りでその金を持つて来たものであると思う」旨の各供述記載、第五回公判調書中武井弁護人の尋問に於て「被告人は銀行から市民同盟に使つてくれと言つて金十万円をもつて来たと言はれた、その金の含みは市民同盟の今後の政治活動に使つてくれと云うことであると思いましたが、政治資金であろうと政治獻金であろうとその様な金は貰つておかない方が無難だという単純な気持で、その金を返えすよう被告人に忠告した」旨の供述記載、第六回公判調書中山崎主任弁護人の尋問に於て「自分は市民同盟の幹事長でありながら、政治獻金には政治資金規正法による届出が必要であるということは知らなかつたので金を貰うこと自体が贈収賄になると思つて居りましたが、検事から政治資金規正法による届出のことを尋ねられてその時初めてその様な手続をしておいたら、こんな問題にならなかつたのだと思つた、検事からは政治資金としての手続をしていないから、政治資金ではないのではないかと問はれた次第」なる旨の供述記載(本件記録の原審第二、五、六回公判調書中証人西川徳弥の供述記載援用)並びに原審公判証人広田敏男の第二回公判調書中及川検察官の尋問に於て「市長は鳥取銀行から十万円受取つて居ると言はれたが、どういう性質の金だということは、聞いて居らぬ、西川徳弥方で、その金の処置について相談したが結局政治資金として私が一応預るということに決めた様に思う。」旨、裁判官の尋問に於て「市長が貰つた金は、市長に対するリコール運動の時にも相当金を費つたが、市長には一銭も出させていませんので、市長は同志の為に使いたいと考えられたのか或は次期市長選挙のことを考えられたのかは知りませんが市長自身が私慾の為に貰つたということは絶対にないと信じて居る」旨、山崎主任弁護人の尋問に於て「自分は市民同盟の幹事長をしていたこともあり現在は評議員ですが、被告人が自分に十万円の話をした時に政治資金として預つてくれと言われたように思う」旨、好並検察官の尋問に於て「政治資金としての法律上の手続に付ては事件が済んでから処理する積りであつた」旨の各供述記載(本件記録の原審第二回公判調書中証人広田敏男の供述記載援用)等に徴するときは前記西川徳弥、広田敏男の証言は前掲被告人の供述を裏書する証拠であつて、本件金十万円は鳥取銀行取締役八村信三と被告人との間に市民同盟に対する寄附として授受されたものであること、明らかであつて即、右十万円は市民同盟に寄附された政治資金であることが明らかにされたのである。然し後に述べるとおり西川も広田も政治資金規正法に撤底しなかつた為被告人から市民同盟の寄附として預つた金十万円の処理に付諮かられたに対し、西川は返還するのが無難だと言い、広田は結局政治資金として一応預ることに決めたのである。次で市民同盟の本体を解剖するに、原審第二回公判調書並第六回公判調書中、証人西川徳弥の供述記載に徴すれば、市民同盟は鳥取市政を研究検討の対象とし、明朗市政を確立し之に対する施策を幹部に於て決定されたものを更に之を全員にはかつて決定することを目的綱領とし、被告人外二名を顧問、平尾富治を会長とし同盟員数は三百名内外に達したときもあつたが現在は減員して六、七十名となり、内市会議員は十一名であり政治資金規正法による制規の届出をして居る政治団体であることが明らかである。然る上は政治資金規正法により、本件十万円の寄附を受くることは公認されて居るのであるが該寄附金に付てはもとより市民同盟備付の会計帳簿に登載する等同法の規定により処理せなければならぬのである。ところが本同盟の幹部が前述の如く、法規に撤底しなかつた為、制規の処理をせなかつたがこれは単なる手続の怠慢であつて、それが為寄附が変じて贈収賄となる筈はなく、寄附金である十万円が賄賂に変ることはあり得ないのである。されば原審に於て本件十万円を賄賂であると認定し、被告人が八村信三より暗に同銀行を市金庫に指定方の請託を受け右指定に関する報酬として之が供与を受けたと認定したのは明らかに事実の誤認である。更に進んで被告人は暗に右指定に関する報酬を要求した事実ありやにつき検討するに、原審第一回、第三回、第六回公判調書中被告人の供述記載に徴すれば被告人は昭和二十五年九月二十五日安禅寺住職の茶道昇格の祝賀会及同住職の病気見舞の方法に付鳥取市内に於ける茶道方面の関係者であり相当の資格を以て茶会にも出席されて居る、八村信三と打合はせの為、被告人から求めて同人と会見したのであるがその際右第六回公判調書の内森井検事の尋問に対する被告人の供述記載の一節にも「八村さんが私に市長のリコール問題で市民同盟も相当の金を使つたでしよう」と言われたので「市民同盟も相当の金を使つて居ります」と言つたのです、すると「八村さんは市民同盟にこれだけ寄附すると言つて十万円を出されました、市民同盟に寄附するとはつきり言われました。」とある如く八村信三より進んで現金十万円を被告人に差出し提供したものである。被告人が要求したのか八村から提供したのかは八村は被告人と会見の為蓬莱館に出かける前に既に現金十万円を銀行貸付係に調達せしめ之を携帯して蓬莱館に出向いたことだけで端的に之を知ることが出来るのであつて八村から持掛けたものであることは疑う余地はない。

抑々鳥取銀行に於ては鳥取市金庫事務取扱に指定されんことを念願し株式会社山陰合同銀行との間に既に昭和二十五年三月頃より来る昭和二十六年度に於ける市金庫の指定をめぐつて競争つしゝあつたのであるが同二十五年五月地方自治法施行令の改正により同年十月一日より市金庫の指定は市議会の議決を要することになり同年中に右指定を受くる機運となつたので之を機会に右指定を熱望して活発なる運動を展開し或は重役会を或は審議会を開催して右事務取扱の受託方を協議して居るばかりでなく更に(い)鳥取銀行頭取吉村哲三は山内山陰合同銀行頭取に対し右市金庫事務取扱を鳥取銀行に譲られ度き旨二回迄も書簡を送つて居る(原審公判押収の証第一〇号乃至第一四号の両頭取間の往復四通の書簡援用)(ろ)原審八村信三、西川徳弥等の証言に徴すれば鳥取銀行取締役八村信三は頭取吉村哲三其の他重役と共謀の上現金参万円を鳥取市会議員にして市民同盟の幹事長である西川徳弥方に持参し同人の拒絶あるに拘はらず、強いて該金円を同人方に置いて帰つた事実(原審公判調書中証人八村信三、西川徳弥の供述記載及び検事控訴に係る西川徳弥に対する収賄被告事件の本庁控訴記録参照)(右事件に付西川徳弥は原審に於て無罪の判決を宣告された)(は)吉村哲三、八村信三、梅田昌造等鳥取銀行重役等は共謀の上市会議員山田武一に対し、現金一万円を交付した事実、(吉村哲三、八村信三等に対する贈賄被告事件の御庁控訴記録参照)(に)鳥取銀行重役等は、上山貞一外二十二名の市会議員に対し、金二千円相当の鳥専百貨店の商品券各一枚宛を差出し提供又は供与して居る事実(右控訴記録参照)等により鳥取銀行重役が市金庫指定を熱望し、活発なる運動を展開せるかを熟知し得るのみならず(ろ)(は)(に)の各場合何れも銀行側が積極的に働き掛けて金品を提供せる事実に徴し独り本件のみ被告人が「暗に要求し」と認定するは不自然であり、且つ納得し難い原審の認定は全く独断であつて明らかに事実の認定を誤つて居る。以上により原審が金十万円を賄賂と認定し、且つ被告人が之を報酬として要求したものの如く、認定したのは事実の誤認であつて被告人の所為は何等犯罪を構成しないから、無罪の判決を言渡さるべきものと思料する。次ぎに市金庫事務取扱の受託を希望して居る鳥取銀行取締役八村信三の本件十万円提供の真実は、或は市金庫事務取扱指定方請託にありしやも計られない(八村信三等鳥取銀行重役に対する贈賄被告事件は鳥取地方裁判所に於て審理せられ十万円は賄賂として有罪の認定あり、御庁に控訴中の同人等贈賄記録参照)。仍てこの場合を仮定して更に本件を検討することにする。被告人は前陳の通り各証拠に徴し八村信三より市民同盟に対する寄附として金十万円を提供せられたものであつて、斯る場合は賄賂の提供に対し賄賂たることを知らずしてこれを収受する行為に該当するのでこの場合の責任果して如何と謂うに、凡そ収賄罪の成立する為には収受者が其の職務に関する賄賂であることを意識して収受した場合であることを要する。贈賄者の側に於ては公務員の職務に関する賄賂として提供したのであるとしても、相手方たる公務員側に於て職務に関して提供せらるゝものであることを知らないで、他の理由に基いたものと信じて之を収受したとすれは提供者の側に於ては賄賂提供の罪を免れないが収受者の側に於ては収賄罪を構成するものでないことは学説大審院判例の認むるところである(美濃部達吉著公務員賄賂罪の研究、刑事判例集第七巻七一二頁-昭和三年十月判決宣告)。以上何れによるも被告人の所為に対しては無罪の判決を言渡さるべきものと思料す。

第二、原審判決には訟訴手続に法令の違反があつてその違反が判決に影音を及ぼすことが明らかである。

(一)原判決は(一)裁判官の証人吉村哲三、同八村信三に対する尋問調書(二)検察官作成の(い)吉村哲三の第三回供述調書(ろ)八村信三の第五回供述調書(は)西川徳弥の第八回並第九回供述調書を証拠として採用し事実認定の資料としたのであるが、特に「被告人が八村信三より暗に同趣旨の請託を受けるや之を黙諾し暗に要求して十万円の供与を受けて賄賂を収受した」との点に至りては前記(一)の証人尋問調書(二)の(い)(ろ)(は)の各供述調書だけで認定したものであること明らかである。(原審判決が事実認定資料として採用したと云う其の余の証拠である原審公判に於ける証人吉村哲三、八村信三(各第一、二回)同証人広田敏男の各供述は右特に指摘した事実の認定には先づ関係はないと云うてもよい)。

(二)而して検察官は右(一)及(二)の(い)(ろ)(は)の第八回供述調書は第三回公判に於て、(は)の第九回供述調書は第五回公判に於て証拠として提出し、証拠調を請求したのであるが内(一)及(二)の(い)(ろ)は吉村哲三、八村信三が原審第二回公判に於て証言を拒否したので、刑事訴訟法第三二一条第一項第一、二号本文前段に、(二)の(は)に付ては同条第一項二号本文後段に各該当するものとして提出したと云うのであるが之に対し主任山崎弁護人は何れも任意性を欠くものとして武井弁護人は刑事訴訟法第三二一条第一項第一、二号には証言を拒否した場合は含まない、尚同条第一項第二号但書によつても証拠能力を否定するとの理由により右検察官提出の証拠に同意せず、その証拠調に関し異議を申立てたのであるが原審に於ては右異議の申立を却下し、之が証拠調を為し、之を証拠として採用したのである。これが後に述ぶるが如く訴訟手続に法令の違反があると謂うのである。

抑々刑事訴訟法第三二一条第一項第一、二号該当の書類は法文明示の如く、その供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明、若しくは国外にいるため、公判準備若しくは公判期日において供述することができないとき又は供述者が公判準備若しくは公判期日において一号の場合は前の供述と異つた供述をしたとき、二号の場合は前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたときに限られて居る。ところで同条第一項には「左の場合に限り」これを証拠とすることができると規定されてあるので公判準備又は公判期日に於て供述することができないときは死亡その他法文列挙の場合に限られるのであつて死亡等の場合を判示して供述者がその供述を公判廷に再現することができない場合一切を包含するものと解すべきではない。所謂例示に非ず制限列挙の規定であつて而も刑罰に関する証拠法則であるから、厳重なる制限をされたものと解せなければならない。而して刑事訴訟法には何人も自己又は親族の者が刑事訴追を受け又は有罪判決を受ける虞ある場合には証言を拒むことができる旨規定して居るので証人吉村哲三、八村信三が法廷に於て証言を拒絶することあるべきは法律の予想するところでなければならない。然らば、証人が証言を拒絶する場合をも公判準備若しくは公判期日において供述することができないときに含まれるとするならば之は立法当時刑事訴訟法第三二一条第一項に之を明示すべきであつたにも拘わらず之を明示しなかつたのは証言拒絶の場合は同条同項より除外したものであること疑を容れないのみならず、更に証人が証言を拒絶した場合は同項第一号の「前の供述と異つた供述をしたとき」にも同項第二号の「前の供述と相反するか若しくは実質的に異つた供述をしたとき」の何れにも該当しないこと勿論である。

(三)次いで前記(二)の(い)(ろ)(は)の検察官作成の供述調書に付ては刑事訴訟法第三二一条第一項第二号但書に規定する如く公判準備又は公判期日における供述よりも前の供述を信用すべき特別の情況存するときに限るのであつてこの特別の情況の存する事実は検察官に於て之を明にすべきであるに拘わらず何等これに付て明らかにされておらないから信用すべき特別の状況は無いものと認めて証拠能力は当然否定されるべきである。

(四)尚検察官作成の西川徳弥の第八回及第九回供述調書についてその任意性を検討する。

原審公判証人西川徳弥の第五回公判調書中裁判官の尋問に対し「検事が私に君が今此処でこの件で首を括つて死のうが、君の妻が病気で死なうが検事の知つたことではないと云はれたが、私はその言葉を聞いて非常に悩みました云々」なる趣旨の供述記載(原審第五回公判調書中証人西川徳弥の供述記載援用)第六回公判調書中主任弁護人の尋問に対し「自分は十月十一日釈放されると思つていたのに釈放されずそれもいつまで勾留されるか判らないので検事の希望している通りに述べれば早く保釈してもらえるだろうというわけで検事の誘導尋問に対し迎合的に答えたところがあると思うが今考えて見るとその様なことを言うた憶えはない」と云う趣旨の供述記載(原審第六回公判調書中証人西川徳弥の供述記載)及び原審第三回公判調書中証人中浜通則(鳥取刑務所刑務課長)の裁判官の尋問に対し「検事が刑務所に来て夜間勾留者を取調べたことがありますが宿直日誌によりますと西川徳弥は午後一時から午後十一時五十分迄又午後八時から午後十一時三十分迄取調べた」ことある旨の供述記載(原審公判調書中証人中浜通則の供述記載援用)等に徴すれば右西川徳弥の供述調書が強制誘導脅迫的言動による取調の結果によるものと疑われるのであつて任意性の不存在に付濃厚なものがある。況んや刑事訴訟法第三二一条第一項第二号但書の信用すべき特別の情況が存するものとは断じて考えられない。従つて右供述調書の証拠能力は認められない。

(五)更に前陳裁判官の証人吉村哲三及び八村信三に対する尋問調書の証拠能力如何に付次ぎの二つの観点から之を検討する。

(1)憲法第三七条第二項は被告人の証人に対する反対尋問権を確保しなければならない事を規定しているので証人の証言で被告人の反対尋問を経ないものを被告人の不利益な事実認定の資料とすることは許されないこととなるのは当然である。刑事訴訟法第三二一条第一項第一、二号は憲法第三七条第二項に牴触しないために当然公判期日に於ける被告人の反対尋問を予想している。即被告人が反対尋問出来ないような被告人以外の者の供述の録取書は証拠能力なきものとして排斥していると解釈せなければならぬ。被告人以外の者である吉村哲三、八村信三は本件に付証言を拒否して居るので刑事訴訟法第二二七条により裁判官の証人尋問の際被告人を立会はせ反対尋問権行使の機会を与えてない本件に於ては右吉村、八村の裁判官尋問調書は証拠として被告有罪の認定資料とすることは出来ない。

(2)刑事訴訟法第二二七条は同法第二二三条第一項に所謂被疑者以外の者で任意供述した者を前提としている。然るに、右吉村哲三、八村信三は同法第二二三条の被疑者以外の者でなく被告人と互に必要的共犯の関係にある者として被疑者として勾留中の者であつたので、同条の規定による任意供述者でないのであるに拘わらず同法第二二七条を用いて行つた右両名の証人尋問は明らかに法律の明文を蹂躪して居ると謂はねばならぬのであつて爰にも亦吉村、八村の裁判官尋問調書が証拠として被告有罪の認定資料とすることの出来ない理由がある。

以上二つの観点より右裁判官尋問調書の証拠能力を否定する原審判決は前示裁判官尋問調書並検察官作成の供述調書を証拠として採用し被告人に対する公訴事実を認定したので訴訟手続に法令の違反あることは明らかであり而して之が判決に影響を及ぼしていることも明らかである。

第三、原審判決は刑の量定が不当である。仮りに本件に付被告人が有罪なりとするも原審の懲役一年二月に処す但三年間右刑の執行を猶予する旨の判決は量刑重きに失する。即本件記録特に原審第一回乃至第七回公判調書に徴するに(一)被告人は約三十年の長きに亘り地方行政の公職にありて社会に貢獻した多年の誠実と努力とによりあの地位を得た立志伝中の人物である。(二)本件の発生により市長の職と長年間の努力によつて得た社会上の地位と名誉を一朝にして失い市長の現職に在りて長い未決勾留の痛苦を嘗めこれによる精神的並物質的甚大なる打撃は正に実刑に優るものがある。(三)本件十万円は結局に於て現にそのまゝ証拠品として押収し在りて何時にても返還し得る。(四)被告人は元来該金円は市民同盟の為に保管し置き市民同盟の為に使用する意思であつたから九月二十五日八村信三より受取つてから十月十五日迄其侭所持して居つた(尤も其間一部を他に流用したが之は忽補つて居る)。(五)十万円授受の為市金庫指定に何等の影音を及ぼさなかつた。(六)鳥取銀行頭取吉村哲三及取締役八村信三等贈賄者側との刑の均衡上被告人の刑は著しく重きに失する。

本件被告人は単独裁判官により審理せられ鳥取銀行重役等は合議制によつて審判されたのであるが右吉村、八村は各罰金五万円その他の重役等は金一万円乃至三万円の罰金刑に処せられた被告人の刑に比し著しく軽い。

抑本件は鳥取銀行側から持掛けられた事件であることは明白であつて被告人から要求したものでない。原審の被告人の刑は余りに苛酷であり執行猶予期間も長きに失する。特に中央政界に於ける最近の著名の贈収賄事件に付て見るも本件より遙に金額多額の事件に於てすら本件より著しく軽い刑に処せられて居る実状である。右各点に徴し原審量刑は失当である。

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